初めてバイオリンを手にした時からお世話になり続けている恩師の発表会へお邪魔してきた。
大学を卒業してからも何度か出演させて頂いたりもしていたが、ここ数年はお邪魔することもできず不義理をしてしまっていた。
先日、先生のお宅に伺った際に発表会のプログラムを見つけ、スケジュールも空いていたので久しぶりに元気な子供達の演奏を聴きに。
と、思ったらそう甘くはなかった。
開口一番
「助かった〜!!」
とおっしゃる。
先日お訪ねした時には「アナウンスでもして」と言われたような気もしたけれど・・・?
承った係は子供達の楽器のチューニングと呼び出し。
楽器のチューニングはやはり楽器の弾ける者でないとできない。
それも演奏しているピアノのAの音を覚えて舞台裏の楽屋の方へ行ってチューニング。
まさに裏技?
生徒達の晴れの舞台、いつになく責任感。
柄にもなくちょっと緊張。
という訳で先生は会場で落ち着いて生徒達の演奏を聴くことができたと、いたく感激して下さった。
とても見えないんだけど70歳を過ぎた先生、打ち上げで
「パワー落ちたよ、一人でやってたら今頃布団の中だったよ」と。
それにしても子供は元気だ。
いろんな子がいるけれど、大抵の子はじっとしていない。
チューニングをした楽器を持ってあっち行ったりこっち行ったりと・・・
結局出る寸前に慌ててもう一度音チェック。
しかし私が子供だった頃はとてもじゃないけれど比べものにならない程の運動会状態だったそうだ。
もちろん率先して走り回っていたのは私だ。
昔はどこの親も怖かったし先生も若かったので容赦なくつまみ出され怒られた。
「もし今年も暴れたら来年は出さないよ。」
との脅しにも全くめげず毎年運動会開催の常習犯だった私が今になって自分の生徒の事を相談すると先生も母も口を揃えて
「佳奈子よりはいいよ」と。
そんな私が今では音楽を仕事として生きていられる事を一番喜んでくださり見守って下さる先生。
「感動だね。涙が出るよ。」
とおっしゃる。
先生の口癖
「もしバイオリンを続けていなかったら横浜で女番長だったな」
って古っ!
でも確かに。
私は先生に純粋に音楽を楽しむことを教えて頂いた。
バイオリンの奏法も格闘するのではなく楽しく弾けるように教わった。
これは私の宝だ。
音楽というのは楽しむのが当たり前と思うかもしれないけれどたまに苦しんでいる人を見かけたりもする。
子供の頃から賞取り合戦、受験の為に学校へも行かずもちろん友達と遊ぶこともせずに人生を賭けて練習してきた子が社会に出た時、他人とのコミュニケーションの取り方がわからず、才能があっても仕事にならないことがある。
あるいは親に言われるまま練習ばかりしてきたけれど自分の限界を知ってしまった時他に逃げ道がない。
そんな時音楽だけでなく人生にまで背を向けてしまう人を何人も見てきた。
だから私はとてつもなくラッキーな人生を送っていると思う。
親の期待に押しつぶされるぅぅ、とか バイオリンの為に何かを犠牲にしなきゃいけなかった事なんて一度もない。
学校だって皆勤賞だし。
ただ、練習をしたくない、しないならやめなさい、と。
練習なんてしたくないに決まっている。
それでも頑張って続けてこられたのは先生の人物マジックだったんだと思う。
今も昔も変わらず子供達を暖かい大きな心で抱きしめてくれる先生の偉大さを今また感じることができ、私自身のこれからに大きな道しるべを頂けた気がした。
Recent Comments